kenanのブログ

闘病生活

耕起作業開始

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今年はこの畑も新たに追加してサツマイモを栽培していきます。

苗は1500本程を予定。苗屋さんに予約を入れたけど今年の相場がまだ出ていないそうでいくらになるか不安です。

サツマイモの苗とかビニールハウスで栽培するでしょうに、気候の影響とかあまりうけないと思うのですが値段がまだ決まって無いというのも不思議な話ですね。

参考までに、去年は50本が1100円ぐらいでした。

 

退職しました

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2015年から勤めていたソフトウェア開発会社を退職しました。

4月からは趣味の干し芋加工の活動をしていこうと思います。

なんでやめるの?

人間関係が合わなかった。

体調を崩して安定して仕事が出来なかった。

もう働かないの?

病気が寛解したら会社員として働くことも考えたいと思います。現在の所ソフトウェア開発方面で就職することは考えていません。

社会復帰にいたるまで Part2

Part1から半年が経過してしまいました。

その後、農業を辞めIT業界に戻ってから現在までの話でも簡単に流していきたいです。

腰を痛めて肉体労働を辞めようと思った僕はやはり厳しい天候に左右されないデスクワークに就きたいと考え、過去のプログラミングの経験を頼りにIT業界に再び戻ろうと考えました。

地元茨城ではあまりIT業界でどのような仕事があるのか、あまり想像できませんでしたがハローワークにある業務内容を頼りになんとか採用を頂くことが出来ました。

そこでは半年ほど勤務しました。開発案件を抱えている大きい会社に出向して常駐開発する感じでした。 不透明な仕様や設計・コーディングやテストを乗り越え納品直前に大坂へ完成したアプリを導入し、現地での運用切り替えをするなど、かつて無い経験をすることが出来ました。 現地の導入先職員の方々にも始めのころは厳しい対応でしたが、真摯な対応をすれば気持ちは伝わるのか次第に親切にしていただけました。 今思えばそのまま働いていても良かったかも知れませんが、茨城の破滅した開発スケジュールにうんざりしたのですぐ辞めて閉まったのは今となっては勿体なかったかもしれません。

その後、新世界を求め僕は東京の友人の紹介で広告代理店のような会社で版権ビジネスに関わる仕事を始めましたが、都内での一人暮らしと新しい会社、さらには未経験の職種という3つの要素もあいまって精神に負担が大きく半年ほどで実家に帰ることになりました。 実家に帰ることになった原因の1つとして体調の悪化がありますが、原因の9割ぐらいをしめる要員となったのは金銭的な問題でしょう。 後々の計算で半年で100万ぐらい支出していたことが判明しました。なぜこんな高額の支出があったのかあまり記憶にはありません。 紛失した記憶もなければ寄付した記憶もないし、キャバクラとか行った記憶もないので単純に消費したのでしょう。

友人にいろいろ相談した結果、それは病気なのだと指摘されたので、改善するまで両親に指導されながら金銭感覚を取り戻していきたいと思います。 30歳も到来して独身の小遣い制度の始まりです。

実家に戻った僕は、茨城で開発業務をしていた際に知り合った方の会社で現在お世話になり、再度客先常駐の派遣開発業務を行っておりますが死ぬほど働け。働いた分が評価に繋がる。リタイアするようならボコボコにしてやる。という叱咤激励を頂き、ほどほど相手の会社の社風を取り入れながらも自分のペースで働くということを守りながら自分の借金や両親の退職後の生活を支えつつ、将来始めるであろう干し芋業への貯蓄を殖やしていこうと考えています。

ここまでの経験の中で一番精神が安定していたのは農業だったので、うつ病で辛い中デスクワークをして長時間残業したりしている人がもしいたら、思い切って退職して農業の仕事を1年ぐらい体験してみると体調はかなり改善されるしチャレンジしてみることをオススメします。

駆け足でしたが、2010年の発病から2015年の終わりまでには激務のコンピューター開発のお仕事に復帰できるまでに体調が回復しつつあるので、もし体調を崩されて仕事がしたいけど中々仕事に復帰する体調にならない。と考えている方の希望的なものになればと思います。

社会復帰にいたるまでPart1

2012年の9月からだいぶ時間は経ちました。 その後僕がどのような生活を送って仕事をなんとかできるようになっていったのか、軽く話をしたいと思います。

心身ともに底辺に落ちた状態ではありましたが、その後僕はゲームセンターに勤務しました。 1日8時間お客様の使用した筐体を掃除して、常に快適な環境を維持し居心地の良い空間を提供するというものです。 1日8時間のうち1時間は休憩がありますが、7時間中80%ぐらいは歩き続けていました。 体重も8kgぐらい減少して、ゲームセンターという閉鎖されていたと感じたコミュニティへも入れたと感じました。

ただ、1つミスをしたことにより、僕は店の信用を大きく下げる。という指摘をされ、自己都合で退職しろ。とミスをした翌日に辞めさせられました。 その1つのミスがない状態でも小さなミスは多数ありましたが、サービス業として店の信用を下げる行為に値するものは許されなかったようです。

その後、仕事も見つからず1ヶ月半ほど、ぶらぶらしてお金も尽きはじめたころ近所の干し芋農家から人員募集のチラシがありったので思わず飛びつきました。 なんと1日8時間も働けるのです。時給は800円。

そこらのコンビニより健康的でよい賃金だと思って1年半ぐらい働きました。 そこには、出稼ぎにきた中国人やら、年金暮らしのご年配の方々が多数いて若い僕はちやほやされると共に力仕事を任されることも多くわりと信頼を得ることが出来て、良い環境で働けたと思います。 中国人も出稼ぎ、ということもあり日本の最新電子機器に興味津々で僕が使ってるiPhoneとかノートパソコンやネットワークゲームについてよく話をしました。

ただ、経営者の方々はそういった知識を与えることをよく思っていないらしく、よけいな知識を与えるとネットで連絡を取り合った仲間と反乱を起こす。夜逃げされる。などと僕たちにあまり仲良くするな。と厳しく言いつけたりすることも何回かありました。

ただ、その問題については経営者の不当な賃金未払いと長時間労働の影響が殆どでしょう。 そういえば、茨城では賃金未払いと過酷な労働が重なった結果外国人研修生が暴動を起こしたり、殺傷事件があったり、県から指導が入って研修生の受け入れをしばらく禁止するようになったみたいですね。 まあ、妥当な判断かと思います。 そんなこんなで、そこそこ楽しく働いていた干し芋農家ですが、1年も過ぎた当たりで腰痛がひどくなり病院に行って診察をしてきました。 すると、お医者様に「このペースで仕事してたらあと10年で腰はダメになるねぇ・・・」というなんとも辛い言葉。。。

分からない人に簡単に説明すると。 干し芋の加工には、栽培のために、東京ドーム7個分の畑に手で苗を植え続ける作業と、その畑を除草する作業。収穫時に2~5kgぐらいまでふくれあがった干し芋を収穫する作業。収穫した芋をコンテナ(1つあたり15kg)積み上げる作業。加工時にはそれを毎日1トンほど消化する作業。などなど超重量を運搬し、腰に負荷をかけ続ける作業が存在するのです。 などという作業をたった1年やっただけで余命10年とか言われたので、僕は今年で干し芋農家は辞めようと思いました。 このような力仕事は、最低限のことだけ人間がやってできるだけ機械にやらせないと仕事ができる人がいなくなって消滅すると感じたからです。

ただ、干し芋農家に入って1つだけ収穫があったのは、地域の干し芋の品質は非常に高いこと。うまい干し芋屋を何件かピックアップ出来たこと。自分で作った干し芋が他者から高い評価を受けることが出来たことです。

僕は仕事がなくなったら贅沢はできないけど食べていける。程度に干し芋業に専念して小銭を稼ぎたいと思いました。

ちなみに、ゲーセン勤務の時はメンヘラ感がだいぶ出てましたが、1日8時間の歩き仕事の影響か体重がかなり減って肥満によるストレスはだいぶ減った気がします。 続けて農業の際も、朝起きて夕方には帰れる。という仕事と肉体労働・多くの人と会話を中心としたコミュニケーションが必要ということもあり、精神的にはだいぶ回復していたと思います。 ただ、最終的に経営者の経営方針が僕の性格と合わなかったので辞めることにはなりましたが・・・。

まあPart1はこんな感じで、農業を体験するのはうつ病に効果的。というのは身をもって体験することが出来たので大変良かったと思います。

Part2は農業からIT業界に戻った話でもしたいと思っています。

社会復帰に失敗した話。

さて、前回の投稿から約半年が経過しました。 その中で起こったことを軽くまとめたいと思います。

まず、コンビニはブラックでした。詳細はFacebookのフレンドのみに公開していますが、完全なオープンには公開できない情報もありますので、簡潔にいいますと。正しく給料が払われない。(業務であることが店側がかってに業務でないと言い張る。)不良在庫の商品の買い取りを強要される。ノルマを強要される。(目標は回ごとに上がっていく)などでしょうか。

他にも、車を使って市内の施設や個人宅などを訪問販売しにいくという辛い業務もあったりしたので。精神衛生上よろしくないので6月を持って退職しました。 それと平行して、一般企業の中途採用に申し込みをしてみました。 申し込み翌日には連絡が来て、その翌日には面接があり、週末には採用決定という超スピードでした。 僕は、いつ仕事に来いといわれてもいいように、その連絡の翌週にはコンビニを退職したい旨を伝え上記に書いたように6月で退職し、 7月からシステム開発会社でのアルバイトとして仕事を行うことになりました。

業務としては、WEBで社内業務システムを開発する感じなので以前東京で働いていたものと同じだったので思い出しながら仕事をしていけば大丈夫かと思っていたのですが、 会社の期待しているスピードで成果がでなかったことから、すぐにプロジェクトから外されあちらこちらを転々としていました。 最終的にはPHPでの業務になったのですが、ソースコードがいわゆるスパゲティ状態で、初めての言語というのもあり解読にだいぶ時間がかかり、これもまた成果がでませんでした。 その頃には、会社の就業時間が9時出社、20時退勤という時間帯で、結構疲労が溜まる感じだったのですが、いつもの調子で1時や2時までインターネットやゲームを行って気分を発散していたのが問題でした。 半月もした頃、お昼休みに仮眠をとっていたのですが、うっかり熟睡してしまい。業務をサボるという事態が発生してしまいました。急いで職場に戻ったのですが、気まずさから無言で席につき業務を再開していました。先輩社員の方は、ある意味で大人の対応というか。誰も無反応でした。 その後にも、コードを解析したりテストをしてる最中に睡魔に襲われうたた寝してることが何度かあり、1度上司に厳重注意を受けました。 僕も、このままではまずいと思い少し早めに寝たり、眠気が来たらカフェインをとったり席を立って外の空気を吸いに行ったりしましたが、寝耳に水という感じで効果はありませんでした。 そんな状態が続いたせいか、PHPの業務での成果も思ったように上がらず、しだいに、ふられる業務が簡素な物になっていきました。

お盆休みを過ぎた頃でしょうか。疲れが出たのか、朝の通勤途中で睡魔に襲われる日が続き、いつ事故が起こってもおかしくない状態が続いて生命の危機を感じました。 これはまずいと思ったので、社長に相談して、そのように体調の悪い日は出社時間を遅らせて欲しい旨を伝えたのですが、社長からの返答は厳しい物でした。

「君は病気かもしれないが、業務中寝ていたそうだね。私は何人も病気になった人を見てきたが眠いといって寝ていた人は見たことがない。」 また、「経験年数の割に成果がまったくでてないそうだね。期待外れだよ。というようなことを言われました。」

僕としては、採用の際に病気のことは伝えており、社長も病気については理解している。というような返答を貰っていて、会社の方でもメンタルヘルスについての利用制度があったので理解がある会社なのかと思っていたのですが、社長は病気などは関係なく、業務を正しくこなせてないことに怒りが集中しているようでした。

「君は面接で、昼からの出社でも良いと言ったのに、朝から働けます!という返答をしたよね?でも実際は寝ている。つまり、君は約束を破った訳だよ、嘘をついたわけだ。」というようなことも言われました。

僕は、半年間のコンビニ経験で、眠くなることはあっても実際に眠くてどうしようもない。ということはなかったので、面接時に自信を持ってできる。というようなことは言いました。 しかし現実は退勤時間が遅くなり、帰宅後の生活でも気力が尽きてやる気がでず。睡眠時間も減って寝た気がしないという日々が続いてしまっていて、完全に体調が崩れていました。 そのような事情を伝えて配慮してほしい。決してやる気がなく怠けているという気持ちは一切無い。上司にも病気や僕の気持ちを伝えてほしい。というようなことを言ったのですが、相談した時期が遅すぎました。 社長は、最後に「君は来月で試用期間が終わるが、それ以上はない。終了だ。」と言ってきました。つまりはクビです。 その後社長は「契約では来月までなので1ヶ月前に通知しておくが、望むならいつ辞めても構わないぞ。」ということも追加してきました。ようは僕に払う金は1円でも抑えたいということなのでしょう。 その会話をした後もうやる気がなくなってしまい。いつ辞めるか。というようなことを考えた末。8月一杯で契約終了(本来は9月までの試用期間)ということにしてもらいました。

その後、直属の上司と会話をして自分の体調のこと、病気のことなどを説明してその月で業務を終わりにしてほしいことを伝えたのですが、上司がわりと驚いていて 病気については社長からは、心の病気としか聞いてないし、そんな状態で仕事に来ているとかまったく知らなかった。という感じでした。 つまりは、社長は病気についての理解や社員への配慮などまったくなかったのです。

まあ、僕の方にまったく否がないわけではありません。 実際に業務での成果はあげられなかったし、遅くまで勤務が続いた日に気分転換と称してインターネットやゲームをしたりして早く休息をとらなかった所で体調管理ができていなかったことが一番の問題であったとは思います。

結果としてまとめてみると、会社に否があるように記述してる面が多くなってしまいましたが(ただの愚痴ですね。)、僕の考えや仕事に対する姿勢が甘かった。という一点に尽きると思います。

職場が変わったという環境変化に対する体に影響を与えるストレスや疲労を甘く見ていたということです。 また、前のバイトが夕方勤務ということもあり昼間寝てばかりだったので体力がごっそり落ちて長時間の勤務に耐えきれなかったのでしょう。 長時間の通勤も疲労の元だったと思います。

結局退職が決まった最後の1週間とちょっとぐらいは早寝をするようになり、通勤で居眠り運転もすることもなくなり。業務中に居眠りをしてしまうこともなくなりました。 一般企業という所で働く、という気持ちがまったくないままバイトだし。という軽い気持ちで働いていたから今回のような事態を招いてしまったのだと思います。

一応次の職場の予定はすでに決めていますが、しばらくは休養、体力作りに専念し生活リズムを整え万全の体制で勤務に当たれるように挑んでいきたいと思います。 まあ、このような前向きな考えが少しでも生まれてきたということは、病気的には気持ち面では改善しているのでしょうが、体の面でまだ追いついてないということでしょう。 こちらは改善がしやすいと思うのでなんとかして次は失敗しないようにしていきたいと思います。

まあ、やることはそんなに難しいことではないのですが、それが出来ないのが病気というものなのでしょうか...。これも言い訳ですね...

就活から引越しまで。

12月末まで東京で就職活動をしてましたが、特に職が決まることもなく実家に戻ってきました。 最初の1ヶ月は体調の様子見として普通に過ごしていて。2ヶ月目はRubyの勉強と求人サイトからの応募を始めてみました。 職務経歴書から、Java関連の会社からメールがきたりすることは多かったのですが、僕としてはRubyをやってみたいなって思ってたので、以前の会社の例もありあまり気が進まない所があったので断わっていました。 これが結果的には良くなかったのですが、自分が入りたいな。と思う会社を3社か4社ぐらい受けましたが1社も受かりませんでした。 原因としては、経歴はともかく新しい言語に挑むのに対して面接でその意欲や自信の程を表せなかったからでしょう。 また、中途で4年の経験がある状態ともなるとある程度の実力を求められるので、その人材としての魅力に欠けてたんでしょう。

そこで、わりと長期化が見えてたんですが、特にバイトすることもなく、だらだらと就活をしていたので生活費がなくなって12月末で東京から引き上げることになりました。

ぼくにはまず、仕事をするという意識を高めることと、仕事をしながらの生活習慣の改善が必要ということで、実家から通える範囲でアルバイトをすることにしました。 まあ、それでも田舎のアルバイトなので工場やら量販店やらコンビニのバイトとか程度ですが、まずやってみてその環境に体と心を慣らしていくことが大事なんじゃないかと思いました。 とりあえず、現状バイトを始めて1ヶ月半ですが。アルバイトをこなすだけならなんとかなる感じですが、家に帰ってから何かをしようという余分な体力や余裕はまだない感じではあります。いつになったら余裕のある体力がついて就職活動できるかまだ判断ができなくはありますが、再出発という意味でまた一から活動していきたいと思います。