kenanのブログ

闘病生活

社会復帰にいたるまで Part2

Part1から半年が経過してしまいました。

その後、農業を辞めIT業界に戻ってから現在までの話でも簡単に流していきたいです。

腰を痛めて肉体労働を辞めようと思った僕はやはり厳しい天候に左右されないデスクワークに就きたいと考え、過去のプログラミングの経験を頼りにIT業界に再び戻ろうと考えました。

地元茨城ではあまりIT業界でどのような仕事があるのか、あまり想像できませんでしたがハローワークにある業務内容を頼りになんとか採用を頂くことが出来ました。

そこでは半年ほど勤務しました。開発案件を抱えている大きい会社に出向して常駐開発する感じでした。 不透明な仕様や設計・コーディングやテストを乗り越え納品直前に大坂へ完成したアプリを導入し、現地での運用切り替えをするなど、かつて無い経験をすることが出来ました。 現地の導入先職員の方々にも始めのころは厳しい対応でしたが、真摯な対応をすれば気持ちは伝わるのか次第に親切にしていただけました。 今思えばそのまま働いていても良かったかも知れませんが、茨城の破滅した開発スケジュールにうんざりしたのですぐ辞めて閉まったのは今となっては勿体なかったかもしれません。

その後、新世界を求め僕は東京の友人の紹介で広告代理店のような会社で版権ビジネスに関わる仕事を始めましたが、都内での一人暮らしと新しい会社、さらには未経験の職種という3つの要素もあいまって精神に負担が大きく半年ほどで実家に帰ることになりました。 実家に帰ることになった原因の1つとして体調の悪化がありますが、原因の9割ぐらいをしめる要員となったのは金銭的な問題でしょう。 後々の計算で半年で100万ぐらい支出していたことが判明しました。なぜこんな高額の支出があったのかあまり記憶にはありません。 紛失した記憶もなければ寄付した記憶もないし、キャバクラとか行った記憶もないので単純に消費したのでしょう。

友人にいろいろ相談した結果、それは病気なのだと指摘されたので、改善するまで両親に指導されながら金銭感覚を取り戻していきたいと思います。 30歳も到来して独身の小遣い制度の始まりです。

実家に戻った僕は、茨城で開発業務をしていた際に知り合った方の会社で現在お世話になり、再度客先常駐の派遣開発業務を行っておりますが死ぬほど働け。働いた分が評価に繋がる。リタイアするようならボコボコにしてやる。という叱咤激励を頂き、ほどほど相手の会社の社風を取り入れながらも自分のペースで働くということを守りながら自分の借金や両親の退職後の生活を支えつつ、将来始めるであろう干し芋業への貯蓄を殖やしていこうと考えています。

ここまでの経験の中で一番精神が安定していたのは農業だったので、うつ病で辛い中デスクワークをして長時間残業したりしている人がもしいたら、思い切って退職して農業の仕事を1年ぐらい体験してみると体調はかなり改善されるしチャレンジしてみることをオススメします。

駆け足でしたが、2010年の発病から2015年の終わりまでには激務のコンピューター開発のお仕事に復帰できるまでに体調が回復しつつあるので、もし体調を崩されて仕事がしたいけど中々仕事に復帰する体調にならない。と考えている方の希望的なものになればと思います。