kenanのブログ

闘病生活

例えばの話

ちょうど今小説を読んでいてふと思ったことなどが、たまに考えているなーということだったのでメモ書き。

とあるキャラクターが子供を産み生まれて初めて幸せだと感じた。しかし、そこの子供は病気で死んでしまい、医者である母親が助けることができなかった。そして、死んだ直後に治療法が開発され、自分の無力さを感じる。

ここまでは感動のシーンっぽいのですが。

実は、その子の父親となった男性はとある女性と付き合うのためにしょうがなく彼女と付き合っただけであり、さらには死んでしまった子供の病気は死ぬずっと前に治療の方法が判明していたのだが、その女性がわざと発表を遅らせ、彼女の子供が死んだ後に悠々と発表。

つまり、その女性せいで子供は死んでしまい、父親となった男性さえも別に彼女が好きでもなんでもなかった。という落ちで幸福だと思ったあの瞬間ですら女性の手によって作られたものだと判り絶望する。

みたいなシーンがあります。

この、人が絶望する話がぼくは好きで、手軽にはこういうの再現できないよなーと思っているわけですが。

例えば、今の生活が毎日楽しいならば、いきなりその生活をやめてみたらどうなるか・・・。今まで楽しかったことは夢だった・・・。とか思うと一瞬だけ辛くなる。

今一瞬だけ思うだけならなんとも思いませんが、これを長い時間をかけてみたらどうなるか。

できるかできないかギリギリのレベルで楽しいことを妄想していく。一週間を越えたあたりからもしかしたら出来るかも?とか思い始める。さらに妄想を膨らませ、明日にでもそんな世界が来るんじゃないか・・・・。というところまで行った所で、いきなり現実に戻る。

なんのことのない普通の生活に結構絶望します。

他には、目が見えなくなったり、足や手が使えなくなったりした生活をするためにどうするかとか考えを進めていくと、まず、仕事はできなくなるだろうし。一人暮らしは無理でしょう。怖くて明日も不安で生きていけません。

まあ、これは想像なのでぼくは普通に元気なのですが、こういうことを考えるのも面白いな?と思った。